新得町立福山小学校

明治41年6月1日開校   昭和41年3月31日閉校


平成19年10月訪問



JR新得の駅から国道38号線を北へ向かい
1キロほどの位置で西方へと入り込める道がある
JR根室本線の跨道橋をくぐり
そしてほとんど建物も見あたらないその道を約4キロ進むと
舗装道路がつきて未舗装となる
さらに数百b進むとそこに学校跡地の標柱が見えてくる









新得町内の他の学校跡地でも見受けられる
新得町郷土研究会が建てた跡地を示す標柱が林の中に佇んでいる









そこにははっきりと「福山小学校跡地」と書かれていた









その奥にあった空間
この場所がそうであるのかと 暫し考えていたが
どうやら標柱の側面に記載されている住所を見ると
昭和23年に移転される前の場所であるようだ
なぜ郷土研究会はこの地を選んでしまったのだろう
通常なら昭和41年閉校時の位置に設置すると思われるのだが









その標柱のある手前 舗装道路が切れる辺りにある酪農施設
ここが閉校時の学校跡地である
当時は写真手前あたりに学校池があり
校舎はトラクターの停車している位置の奥に建っていたようだ
現在は全く何の痕跡も残ってはいなかった

明治の時代
トンネル沢と呼ばれたこの地に
山形県から数戸の入植者があり開拓が始まる
「トンネル沢」
おそらく旧根室本線が遠くに見える狩勝峠を越えて敷設され
そのトンネルの麓に当時集落があったのだろう

学校が開設され時の校名は
「新得尋常小学校隧道澤特別教授場」であった
大正5年に福山教育所と変更となる

大正3年5月17日
峠を越す蒸気機関車の火の粉が沢の草原に燃え広がり
この山火事のため教育所は一切のものを消失してしまった
そのため移転し澱粉工場の一棟を改築し授業を行った地が
上記の跡地標柱ある位置なのである

昭和30年代に入り離農者も増え
昭和41年度には児童数4名となることから
閉校となってしまう





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