壮瞥町立駒別小学校

大正5年4月24日開校   昭和41年3月31日閉校


平成21年5月訪問



明治41年から字レルコマベツに入植が始まり
大正5年には五十七戸に達したため
就学児童は久保内尋常小学校へ通学するには
奥地からは12キロもあり困難なところから
その年 字レルコマベツ164番地に特別教授場を創設した

その後児童数も増加し大正11年頃には在籍児童49名に達したが
同地は高台 丘陵の地が多く
農業経営適地とは称し難く
したがって農業を離れ他に転出するものも多く
昭和7年には25戸まで半減してしまう

戦後緊急開拓者が入植し
34戸まで増え児童数も23名となる

開校以来40年近く電灯設備の無い学校であったが
昭和39年農山漁村電気導入促進法により
この地区にも電灯がともり
児童父兄ともに文化に恵まれた

通学区域は冬期間多雪地帯
吹雪の時は道路が途絶え危険で
通学児童が登校できない事があったが
昭和14年から全校児童にスキーを指導し
吹雪の日でも児童はスキーで登下校したため
休校もなくなった

昭和41年には所在地字駒別部落は
ほとんど離農退去したため
その3月31日駒別小学校は廃校の止むなきに至

写真はその字駒別へと続く林道駒別線の入り口
この奥数キロ先にかつての集落があるようだ









進んでいくとこのような頼り無い道へと変わったため
残念ながらこの訪問時はここで断念してしまう
その先はどのような景色に変わっているのかは定かでない

その後ネットで調べていると
なんと学校跡地には跡地の碑が建立されているとの事
下調べ不十分は本当に後悔に繋がってしまう
再びこの地へ来る事を考えねばならない





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