壮瞥町立黄渓小学校

大正3年4月1日開校   昭和47年3月31日閉校


平成21年5月未訪問



道道2号線 オロフレ峠 黄渓
この標高600bもの自然厳しい場所に
かつて幌別硫黄鉱山従業員の住む一大集落があった
最盛時は2500人もの人々が暮らしたという

山の斜面を切り開き階段式に整地されたその場所に
住宅や郵便局・劇場などそして学校も建っていたのであった

夏の強風 冬の豪雪のため
地域住民より居住に対する不安の解消・改善対策の要望が強く出された
昭和46年住宅改良法の適用を受けて
滝之町に改良住宅を建設し
その12月全戸集団移転となったのである









集団移転の翌々年 鉱山は閉山を向かえる
しかしその後も廃鉱から湧き出す硫黄に特有の鉱毒が含まれているため
現在もその真下では中和・鉱毒処理が行われているのである









オロフレ峠の何合目か
かつての黄渓の集落へ分岐する道はご覧の様に閉ざされていた









しかしゲートの後ろに立つ看板を見ると
「この先冬期の間 通行止めです」
「1.2キロ先 通行不能のため」
とある

本当はさらに1.2キロ先まで行けたようだが
入り口に新しいゲートを作ったようだ









本来の通行止め箇所まで行ってみようかと歩き始めるも
強風と残雪 そして早朝で一台の車も通行しない状況では
この大自然のなか単独で歩き続ける気分にはなれなかった

明治35年に硫黄鉱発見以来事業発展と共に従業員も激増し
児童はここから6キロも離れた弁景小学校へ通うも
道路とは名のみで森林の中を通学する悪路
特に冬期は積雪2bにもなり通学困難な状況であった
そこで大正3年幌別鉱業所硫黄山事務所主任は
鉱山事務費を以て校舎を建築せんとし
当時の壮瞥村戸長に交渉の結果
創設するに至った

その後 精錬所に近く粉塵や亜硫酸ガスの影響を受けるため
校舎位置を移転し校舎増築しながら児童数も増加
昭和22年5月には中学校も併置
さらに同28年10月には中学校独立校舎建築により移転する

それだけの規模とまでなった学校ではあったが
上記の通り住民集団移転により
昭和47年3月閉校したのである

一部壮瞥町史より









黄渓小学校があった集落は左手山の斜面に隠れ
この位置からでは確認出来ない
夏場は車で近くまで行けるのかもしれないが
草生す時期では
そこにある様々な遺構も確認するに難しい事だろう
小学校の校門が崩れながらも残されているらしいのだが・・・





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