寿都町立政泊小学校

明治16年11月3日開校    昭和51年3月31日閉校


平成23年5月訪問



日本海に突き出た弁慶岬
美しい この岬のある位置が政泊の地区









岬には大きな弁慶の像がある

こんな言い伝えが寿都町役場のサイトで紹介されている

奥州を逃れた義経・弁慶一行は蝦夷地に渡りこの地に滞在していた
弁慶の舎弟ともいうべき常陸坊海尊が
義経再挙の兵を募って蝦夷へ向かったという情報を得た弁慶は
毎日毎日この岬の先端に立って海尊の到着を待っていた
海尊軍団の船影を見ることはできなかっ た
そんな弁慶の姿を見ていたアイヌたちはこの岬のことを
弁慶が同志を待ちわびていた岬ということから
いつしか弁慶岬と呼ぶようになったといわれる伝説が残り
その姿を再現した銅像が建てられている









像の前の駐車場から国道沿いに点在する政泊の集落を眺める
ここから南に国道を300メートルほどだろうか
進んで行くとそこに「弁慶の土俵跡」との説明板がある

弁慶が義経をなぐさめるためアイヌと相撲をした土俵跡
昔は弁慶が力足を踏んだ跡が わらじばきの足跡としてあり
土俵の縁の高さが30センチもあったという
弁慶に投げられたアイヌたちは崖下に落ち
鼻血を流して赤く染まったといわれる「赤岩」がある
町の最西端に位置する弁慶岬は「狩場・茂津多道立自然公園」の中にあり
伝説と夕日の名所として知られている
遠く 狩場山・茂津多・積丹・雷電の岬を一望できる景勝の地で
夕暮れとともに灯をともす「弁慶岬灯台」も落日の景勝をより詩情豊かなものにしている









土俵跡辺りで写真を撮ろうかと思っていたが
GW 思った以上の交通量でなんとなく車を止めづらかった
そしてその辺りにあったはずの政泊小学校の跡地が何処なのか
2度3度国道を往復するも 荒れた空き地が続く
そこだろうかと想像する以上の確信を持てる場所が見当たらず
周りの風景だけを撮影し ここを後にしたのであった

明治13年開校という歴史ある学校で
大正元年には112名の児童数
その後 昭和20年には53名 同30年は38名 同40年は20名と減少を続け
閉校年度には5名とまでになっていた
町内一番の小規模校であった

政泊小学校校歌

大波小波うちよせる べんけいみさきぼくらの学校
ぼくらは手をとりわになって ゆくてをみつめてはげましあって
ぼくらの夢をえがこうよ

昭和51年4月 寿都小学校へ統合された





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