大樹町立晩成小学校

昭和8年9月1日開校   昭和44年3月31日閉校


平成22年11月訪問



大樹町晩成
太平洋にほど近く 原生花園や小さな沼地が点在する

立派な国道336号線が走っているが
学校現役の時代からは大幅に変更され 新たに造成されたものと思われる









旧版地地形図を眺めながら一度この地を訪れていた
晩成地区の会館もあるのだが
学校位置は全く違う地

いつもお世話になっているK・T様に同行して頂いたのだが
情報によると 学校へと続く道は現在消滅し
その地へ行くことは出来ないとの話

1度目は結局その地を特定出来ずに帰宅した









それから地形図と空中写真をなんども眺め
見比べながら見つけたその場所

旧版地形図では国道から学校を囲むように道路が続き
その中に晩成小学校がある

しかしその道は現在上の写真達の風景に変わり
全く痕跡を残していないのである
そして晩成小学校は正面の高台の林の中に消えている









国道から当時の道路の一部へと進んでいく
ここは舗装され整備されているが
この先辺りから写真左手へとカーブしていた









その名残だろうか
すぐに寸断され牧草地のようになっている
徒歩での進入も出来るような状況ではない
目指す地は はるか向こうの林の中
ちなみに林の向こう反対側からも学校へと道路は一周し続いていたのだが
その場所もこの写真のように すぐに農地へと消えている









学校跡地へ到達するために一番近い所を探してみた
奥に未舗装の道路があり
そこからご覧の湿地帯を抜けると
学校のあった高台へと行くことは出来そうではある









ただし簡単に行けるものでもない









暫し湿地と格闘しながら おそらくこの辺りだろうという所の下まできた
今度はこの斜面を上らないとならないようだ









上ってみた
校庭跡と思われる風景は想像した通り林と笹薮に
位置を確定し ここまで到達出来た満足感はあるが
あとは何か痕跡を発見出来るかどうかである









昭和44年発行の大樹町史に晩成小学校の校舎写真が掲載されている
それには校庭より少し高くなった位置に校舎があり
しかも校舎前には車も止まっている
現在の風景からは 車が進入して来れるなど想像も出来ない

該当する少し高くなった場所が何となく見える
そしてそこには何か基礎のようなものも









そこには晩成小学校の基礎がしっかりと残っていたのである
やはりここで間違いなかったのだ









ご覧の様に様々な構造物が草木に埋もれている









現在ここへと続く路は全く消滅しているので
簡単に到達する方法はない
人の気配を感じれないような小さな山の中に
しっかりとした基礎を発見したことは 感動であった









何か竈のようなものもある









学校に隣接して神社もあったのだが
その痕跡は見当たらなかった
しかし一段下がった位置には 教員住宅と思われる規模の基礎も発見









正しくここに住宅があった ような雰囲気が漂っていた









五右衛門風呂だろうか









便器も草に埋もれていた









もう一度学校の基礎を確認してこの地を後にした

大樹町史の写真にある木の校門の位置を探すも
それらしきものは見つけられなかったが
下から学校入口へと続く道路が 木々の無い空間に笹の海になって確認出来た
しかし撮影してもその雰囲気を伝えるのが難しそうだったので撮影していない

今までかなりの消えた小学校の跡地を訪れたと思うのだが
南北から続いていた道路とも農地に消え
学校付近がこれほど変貌している跡地は初めてである

山奥の学校跡地に記念碑を見つけ
ここまで来る人はいるのだろうか と考えた事は何度もあるが
ここは 間違って進入する人もいない地となってしまったのである
おそらく卒業生も学校が何処にあったのか
思い出す事も困難な場所になっている

ここもある意味 到達難易度1級の廃校跡地である

ご同行して頂いた
K・T様 ねこん様 に感謝です





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