滝上町立拓雄小中学校

昭和26年1月17日開校   昭和43年3月31日閉校


平成19年6月訪問



滝上町道道617号
上雄柏小学校跡地前に立てられた通行止めの標識









その先の通行止めゲート
6月の訪問でもこの状態だったため
通年で通行止めなのだろうか
すぐ奥に建物が見えているのが何だか寂しい

この先10キロ
かつて拓雄と呼ばれた地区があった

戦後に戦争犠牲者らが入植し
子弟は上雄柏小学校まで熊の恐怖と戦いながらその10キロの道を通う
そこで住民は拓雄の地域に学校の開校を請願し
昭和25年の校舎完成で翌年開校する
昭和33年には中学校も開校併置され
地域住民の多大なる協力で学校は整備されていく
最盛期は児童数50名生徒数16名を数えたが
離農が相次ぎ昭和42年には戸数6戸までに減ってしまう
そして翌43年には全戸離農を余儀なくされその地を去るため
拓雄小中学校も閉校となってしまった

今ではその地を訪れる事さえ出来なくなってしまったのか









平成22年5月
ゲートが開いていない可能性はあるが
国道273号線 滝奥小学校近くの林道から
約7キロの道程で拓雄の集落跡地へ繋がっている情報を得
その場合そちらから厳しい到達になるとは思うが
挑戦してみようと考え再訪した

果たして運は味方しゲートは全開









前回ゲート越しに確認した廃屋を間近で見ることが出来る
普通の民家ではなそうで 商店か宿だったのだろうか
今は道路沿に建物などほとんど無くなっているので暫し眺めてみる
それにしても崩壊しないでよく残っていたと思う









はやる気持ちを抑えながら車を進める
途中で見つけた廃バス









何かの休憩所として再利用していたようだ









ゲートから6キロほどだろうか
立派な舗装道路が途切れ 心細い道へと変わる









心細い一車線の舗装道路も更に進むと未舗装となり
細い道の両脇が斜面となった危険な箇所を通過し進んで行くと
いよいよ40年前に消えた集落の跡地に近付く









入り口で確認した建物の残骸
大きさからすると住居ではなく倉庫のようだ









その先の道道617号線
通行止めが正面に見える
しかし道はここから新しく取り付けられた橋

ペペロ大橋が右手に分岐し
そちらからまた立派な舗装道路が続いて行く
滝上町から旧留辺蘂町厚和地区へと続く道を整備しているようだが
現在工事は休止中と思われる









通行止めの先が拓雄の集落へ続いている
そして拓雄小中学校はこの先にあるのだ









今でも何かこの辺りで作業する人でもいるようで
この廃道は非常に歩きやすい
歩き始めるとすぐに左手の少し高くなった位置に分岐する道が現れる









その左側へと進む 開けた空間が見え始めた









空間の手前の木々の下に何かが見える









これは









夢にまで見た というかこんな立派な校門があったとは
私の頭の中に想像ですらない

40年も前に廃校となった しかも本当に奥地
当時の最寄り駅 国鉄渚滑線濁川駅まで24キロほどあるだろうか
木製の校門だったのだろうと想像していたので
不思議な光景過ぎる

しかも残されていたのは向かって右手の
「滝上町立拓雄中学校」
おそらくは対の方に小学校名が付いた門柱があったに違いない









門柱を裏側から ずっしりとしている
本当にしっかりとした造りだ









学校跡地へ入る前に
滝上町内に建てられている記念碑がある情報を得ているので
そちらを探しに

先ほどの分岐した部分から右手の下って行く方の道を進む
敷地内を見ながら進むと左手に木々の切れた部分が









見上げてみる
少し離れた位置に2本の柱のようなものが









「拓雄 開拓地 小中学校 跡地」
ここにあったのだ
日の当たり方 木陰だからか大変撮影し辛く
貴重な記念碑に刻まれた文字をはっきりとお見せできないようで残念である









記念碑の裏側
こちらは肉眼でも読みづらい

昭和二十年疎開者等が入地開墾に従事す 昭和二十五年拓雄小学校
設置され昭和四十三年入地者離散し廃校となる
昭和四十七年 滝上町郷土史研究会建之

なおもう一方は木製の柱
おそらくは木の幹で造った校門の片側だろう









敷地へ入ると広々とした空間が残されている
校庭跡地だろう

それにしても木々が育っていないのが不思議である
最近まで何かにこの場所を利用していたのかもしれない
いや現在も時期的には利用しているのだろうか

校舎は奥の林の中にあったのだろうか
今まで超遠隔地の廃校跡地を何度か見てきたので
先ほどの校門といい この敷地の広さといい
地区住民の学校に対する思いは相当なものだったのだろう









校舎建物があったと思われる林の中へ入って調べてみる









古いテレビが放置されていた
こんな所まで来て不法投棄か
それとも拓雄小中学校の関係者が置いていったものだろうか









なんと
大きなコンクリートの構造物を発見









大きな煙突だ









調べて行くと広い範囲に建物の基礎が









ここに校舎があったのだ
しっかりとした基礎といい その規模といい
本当に私の想像を超えていた
こんな奥地の山中に
それなりの学校を設置しただけの人々が暮らしていたのだ









現在ここは無人地帯でひとけなど全くない
完全に熊出没地帯のため
校舎建物の基礎まで確認するには かなりの勇気がいる事だろう

そういう私はお世話になっている
K・T様とねこん様との合同探索
それでなければ校門の確認でさえ勇気がいる









校舎が建っていたであろう林から戻り 校門の方向を見た風景
閉校から40年
全く手を入れていなければ良くて笹藪
もしくは大木の育つ林になっていてもおかしくないが
整地されている
いったいこの地で何が行われているのだろうか
ただ何にしても車での進入は不可だと思うのだが









ゆっくりと学校跡地を確認した後は
折角なので拓雄の集落跡地を巡ってみる

まずは学校跡地からの廃道をさらに先へと
すぐに道路は水にえぐられ
歩いて渡るにも困難な状態に

いったん道道へ戻りペペロ大橋を渡る
立派な舗装道路から
こちら側へと入り込める廃道を見つけそこを進む









林の中に何か大きな釜
これ以外に崩れた廃屋やその基礎など全く見つからず
一升瓶の空き瓶が転がるぐらいである









同様なものをもう一つ発見 何かを煮炊きしたのだろうか









深い薮に覆われた廃道を進んで行く
かつては両側に生活があったのだろうが
先ほどの大きな釜を見つけたぐらいで林が広がっている

この通行止めの先が
先ほどの学校跡地への廃道に繋がり一週している









古びたコンクリートの橋はご覧のように相当の段差が出来ていた
これでは標識が無くとも車で通行する者はいない

ご同行していただいた K・T様 ねこん様
情報をいだだいた ウインデー様
大変感謝いたします





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