苫小牧市立静川小学校

大正4年9月?日開校   昭和46年3月31日閉校


平成22年5月訪問



国道235号線
付け替えられた旧道が写真右手の後ろ側に残されている
一段高い位置に見える道路が日高自動車道
静川小学校跡地の一部がその道路に取り込まれてしまった









現国道と旧道との間の敷地に大きな碑
もちろん学校跡地の碑 などではなく
「人間環境都市 緑の環 苫小牧市」とある









日高自動車道をくぐって裏手の学校跡地を確認しようと
その入り口にこの看板
時間の関係で遺跡の確認までは出来なかった









この風景
この辺りから学校の敷地が始まり 向こうに校舎があった









しかし静川小学校跡地はご覧のようにただの林と化していた
旧版地形図には神社の記号もこの正面辺りにあるが
それも判然としない









振り返って左手 中に入って調べて見たが
何処が校庭で何処に校舎があったのかも定かではない









敷地内に落ちていたタイヤ
古いホワイトリボンのタイヤを見ると
校庭に遊具として半分埋まっていたタイヤかと想像してしまう

明治 開拓の入植者があり
大正に入りニナルカの集落に「ニナルカ特別教授場」が設置される
その後「仁成花国民学校」
昭和22年「静川小学校」と改称された

昭和43年になって道開発庁は
いわゆるナショナルプロジェクトとして
苫小牧東部大規模工業開発計画を樹立し
国の開発計画が進められる事となり
同44年10月から用地買収が開始されたのである
そして一戸二戸と立ち退きが始まり 児童数も減少
同46年3月に市教育委員会は静川小学校の閉校式を行ったのである

苫小牧市史より





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