津別町立沼沢小学校

昭和28年11月16日開校   昭和52年3月31日閉校


平成21年4月訪問



津別町本岐から道道494号線をチミケップ湖へと向かう
6キロほどだろうか
住む人もほとんどないような山間の寂しげな場所に
写真の建物がある









農機具置き場にでも使用されているのだろうか
古びた校舎が解体されずに 残されていた









かつての教員住宅達残も残されているが 住む人はいない様子
ここだけ建物が密集していて 何だか不思議な風景である









住宅だったと思われるが それぞれ形が違う
この建物も裏側を見ると









古めかしいこの雰囲気は 非常に味わいがある









校舎は農機具置き場として利用されていたようだが
付近に農地があるのかどうか
今も誰かが利用するのだろうか









まるで住宅の玄関のようだが
小学校の玄関だったのだろうか
それとも併設された校長宅のそれだったのか









と思って横を見ると
これも小さなものだが こちらが児童玄関だったのだろう

それにしても 玄関両脇の壁が開けられ
完全に倉庫といった雰囲気









屋根下からの壁のデザインが 古い学校の建物で何度か見かけたものである
昔は校舎以外でもこんな建物が多かったのだろう









取り外された壁には一応シャッターが取り付けられたようだが
その役目を果たしていない









内部を覗かせていただく
黒板や廊下もそのままに 教室だった雰囲気が残っている









反対側から
昭和60年発行の津別町史に掲載された校舎の写真を確認すると
この白壁の部分は写っていない
半分ほどの大変小規模なものである
おそらく開校時の写真なのであろう
ちなみにその写真には校門も写っているのだが
閉校後 農機具置き場にされた時にでも撤去されたのだろう









白壁校舎の内部をガラス越しに覗くと
天井が直され 最近まで使っていたような新しい感じ
しかし床には埃が積もり 乱雑に物が放置されている
ここは旧体育館だったのではないか









良く見ると校歌が掲げられていた

8q以上の遠距離を本岐小学校まで通学し
戦後18戸がさらに3qも奥に入植した
通学は困難を極め 年間60日〜80日もの欠席者がでるほど
こうした状況から 有志が町と学校設置を交渉し
開拓学校設置の見通しを得
土地探しの末 この地に木造平屋校舎を昭和28年11月に竣工した

児童数は開校時21名
ピークは昭和35年の29名
その後児童の減少は続き
昭和52年3月在校生1名となるため
本岐小学校に統合し 閉校となった









校庭跡地に立って
校舎や教員住宅達が 忘れ去られたように佇んでいた





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