八雲町立上の湯小学校二股分校

昭和31年1月?日開校   昭和42年3月31日閉校


平成22年5月未訪問



下二股林道
ここから先8キロほどに目指す学校跡地はあると思われる
思われるというのはこの訪問時
その地を確定する事が出来ずにいたからである
しかし折角なので行けるだけ行ってみようと思う









少し進んだ所に架かる橋 この橋を渡ると未舗装となり
奥の山の急な坂道を上って行く









急な道の途中から二股の方角を眺める
正面の谷間を左側にずっと進んで行くとあるとは思われるが
今回は序章で止めておく
次回 他に残した課題と共に再訪するしかない

戦後緊急開拓事業の開始とともに
この落部上の湯二股地区へも入植者が多くなり
その子弟のため住民は分校を設置するよう村に要請した
これにより昭和32年1月10名の児童によって開校したのである

その年の12月には新校舎が完成
児童14名 教員1名であった
この分校は高度僻地校として昭和40年から
業者との特別契約による学校給食が実施された

しかし昭和35年以降は開拓者の離農が相次ぎ
児童数も37年には1桁となり
42年には2名の児童が5年生になって本校へ通学する事となり
在籍数はゼロとなった
分校として開校以来11年をもってその歴史を閉じた





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