八雲町立熊嶺小中学校

昭和24年7月1日開校   昭和47年11月30日閉校


平成22年5月訪問



昭和21年に戦後の緊急開拓地として大新の奥
砂蘭部川沿いの国有地が開放され
これに一五戸の入植者を迎え入れたのが
いわゆる熊嶺地区開拓のはじまりである

八雲町史の熊嶺小中学校の項はこう始まる

ここは八雲町市街地から南
大新の農道を砂蘭部川に沿い暫し進むと
舗装が途切れご覧の道
雪解け水で削られたかのような悪路に愕然としてしまうが
目指す集落跡は約3キロ









何度かこのような風景を進んで廃校跡地を探したが
集落への立派な舗装道路が整備された現在では
「なぜここに開拓を」
と考えさせられるのである









所々路面の削られた悪路をゆっくりと進むため
わずか3キロがどれほど遠く感じることか
もし車に何かあったらと考え始め かなり心細くなってきた









綺麗に植林されたかのような風景も現れる
道路も廃道というわけではないので
今でも人が何かの理由入ってはいるのだろう









私は八雲町史で確認したこの学校跡地に建つという石碑に
必ず会うため入念な下調べで臨んだのである
頭の中には空中写真が焼き付けられてはいたが
この辺りだろうと思った場所が 何故か現れない

そうしている内に道はさらなる悪路になり
車の底を何度もぶつける
このまま進むと戻ることが出来なくなるような不安に駆られ
断腸の思いで断念してしまったのだ

必ず再訪することを考えながら帰る途中
30年前の空中写真とは少し違うなとは思いながら
右手へ分岐する道をとりあえずと言う気持ちで進入して行った









サイロだ
ここに生活があったのだ









この奥は高台となっており
そこへ続く急な道
この時点でかなりの心労だった私は
これ以上の冒険心がなく
サイロに少しの満足とリベンジを誓い この場を後にしたのである

この数百b先に私を待つ石碑が眠っていたというのに・・・





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