八雲町立桜野小中学校

(八雲町立野田生中学校桜野分校)


明治40年5月17日開校   昭和51年3月31日閉校


平成22年5月訪問



桜野牧場の奥
かつて学校へと続いていたであろう道は
牧草地に取り込まれたようだ

近くの牧場の方にお声を掛けてみた

桜野小学校はこの辺りになかったでしょうか
桜野小学校ならここから手前に2キロぐらいの場所にある
(それは先ほど立ち寄ってきた)

いえそこの奥に昔あったと思うのですが
こんな所になんてないぞ

それを聞いていた奥で作業していた方が
ほらそこに建物見えているだろ あれだ

そうですか!今はそこへ続く道でもあるのですか
いや牧場の中を通らんと行けん
すみませんちょっと入らせていただいてもいいですか
ああいいよ

としっかりとお断りをして喜びを噛みしめながら
廃道と化したその牧草地の間の道を進んでいく

進んで行くと奥が開けてきて写真の風景
一段高くなった防風林の奥に建物が一つ









そこへと続く道も完全に廃道に









敷地へとやってきた
先ほど見えた建物はおそらく教員住宅と思われる
残念ながら校舎などの建物は残されていないようだ
それにしても笹藪が深すぎて
建物に近付く気にもなれない

この奥に校庭跡地が広がっているのだが
遠くを見ると笹藪の海が広がっていた

この時お声を掛けた牧場以外に手前にも牧場があり
そこの方がこちらを見ていたらと思うと気が気でなく
八雲町史に記載されていた
学校跡の石碑を探す余裕など全くなかったのであった

ここはリベンジも難しいかもしれない
今考えるとせっかくのチャンスを逃してしまったようだ









旧版地形図では更に奥の山裾に神社の記号が記載されている
始めに訪ねた牧場の方は神社の存在も知らないと言っていたが









今でも参拝する人はいるのだろうか
古びてはいるが しっかりと鳥居が残されていた

明治36年に野田生原が開放された事により
入植が始まり開拓が進められた
当時はこの地に通ずる道路もなく
およそ10年後の大正3年に野田生原植民道路が開通するまでは
落部村の野田生から山を越え川を越えという大変な経路であったという

そんな中で私設教育所として開校し
その後明治43年には公設の教授場として認可され
「大柏野教育所付属野田生原特別教授場」が設置されたのである

更に昭和4年には昇格し「野田生原尋常小学校」
同16年に「野田生原国民学校」を経て
22年4月から「野田生原小学校」と改称された
大正時代に60名以上となった児童数もこの時には22名まで減少していた
27年4月から「野田生原中学校」が設置され小中学校となる
昭和31年4月には「野田生原」という校名は類似名が多く紛らわしいと
地名改称に先駆け「桜野小中学校」となる

昭和40年代に入ると離農転出者が続出し児童数も減少
47年度で最小限の1名が卒業し在校生ゼロとなってしまい
小学校は昭和48年3月を以て廃校したのである

中学校には生徒が在籍していたため単独校となったが
50年度には1名となる見通しとなったため
格下げされ
「野田生中学校桜野分校」となり
その生徒が卒業した51年3月を以て姿を消す事となった

今は桜野24番地に校跡碑を残すのみである

八雲町史より





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