八雲町立鉛川小学校

明治40年4月15日開校   昭和42年3月31日閉校


平成22年5月訪問



雲石国道から道道42号線へ入り
小高い坂道を進んで行くと
右手の少し高い位置にかすかに石碑のような物が確認出来る









そこへは少し手前から旧道が続いており
すっかりご覧の笹藪に









上ると木陰の薄暗い位置に朽ちた校門と中央に記念碑
撮影技術の無い私は
薄暗いためホワイトアウトしてしまった









記念碑にはしっかりと「八雲町立鉛川小学校跡地」









裏側を確認すると
「昭和42年3月31日廃校」と刻まれている









校門と石碑のある場所だけ木々で覆われていたが
奥には開けた空間 学校敷地であるが
そこには鉛川会館が建っている









会館以外にもう一つ誰かの別荘のようなログハウスが建っている以外
ただ何もない風景が広がっていた

明治の時代
入植者達の子弟は33年に創設された大関分校(現大関小学校)に通学していたが
奥地の開拓が進むにつれ
大関分校は現在地に移転することになる
この地区の児童は遠距離のため通学不能となり
鉛川住民の請願により
大関尋常小学校付属鉛川特別教授場が開校する

その後離農や入植を繰り返し
大正9年の児童数67名を最高に
昭和に入ってからは30名から40名で推移する
しかし昭和30年代後半の人口流出によって激減し
町教育委員会での小規模校統合整理の対象校となり
昭和42年3月末を以て閉校
最後の在籍児童7名を八雲小学校に送り統合した





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