八雲町立大関小学校夏路分校

明治38年9月?日開校   昭和51年3月31日閉校


平成22年5月訪問



北海道新聞社から発行されている素晴らしい写真集
「北海道 わが心の木造校舎」という本がある
その中に朽ちた夏路分校の大変貴重な写真が掲載されているのである

撮影は昭和60年5月
20年以上経った今を確認したく4年が過ぎた

道道42号線上八雲
セイヨウベツ橋を渡るとすぐ北側の未舗装の道を進み
サックルペシベ地区へと向かう

写真の位置から3キロほどだろか
目指す夏路の集落には何があるのだろうか









すぐに小高い山を抜け 暫し山間の道を進む









ゆっくりとした速度で未舗装の山道を進んでいく
そうしているうちに夏路の集落跡へやってきた
右手に見えている看板には
「釣人頭上送電線に注意」
釣り人はこんな奥地まで来るということか









振り返るとこんな感じ 人の気配はない









唯一見つけた廃屋の残骸
他の崩壊した建物の廃材は再利用されたのだろうか









その廃屋の前はT字路となっていて交差点には
「夏路林道」との看板が









少し手前が夢にまで見た夏路分校跡地
かたわらには鳥居が建っている









旧版地形図では神社の記号はもう少し先にあるのだが
小さな集落では神社と小学校は隣接しているので
地形図が違っているのかどうか

それにしても何も無いこの風景をしばらく進んで来た私には
嬉しくもあり愕きでもあった









前述した写真集ではこの位置に木製の古びた校門と小さな校舎が写ってはいるのだが
朽ち果てた残骸が見当たらないのは
やはり廃材を何かに利用でもしたのか
それとも笹藪に隠れているのだろうか
はやり25年後はその姿を止めてはいなかった

跡地を見つけ完全に調査を終えたと満足な思いでこの地を後にしたのだが
何と学校跡地の小さな石碑が傍らにあったようである
いったい何処にあったのだろうか
なぜ見つけられなかったのだろうか

情報を提供していただいたウインデー様
本当に感謝です

この地区も入植者が増加し大正13年には児童数38名を数えた
しかしその年が戸数34戸を頂点としその後減少
昭和22年にはわずか5戸となり
23年には児童数2名となって
日本一小さい学校としてニュース映画によって全国に紹介される
その後32年と36年に8名の在籍児童を数えたものの
転出者が相次ぎ
45年には一家族の姉弟だけ4名という特異な現象となった
こうして姉弟だけの学校として存続し
全員が卒業してしまった昭和51年3月を以て自然廃校となったのである





back

inserted by FC2 system