八雲町立八雲鉱山小中学校

昭和9年5月20日開校   昭和44年7月31日閉校


平成22年5月訪問



雲石国道から現在鉛川温泉のある道へ入り進んで行く
このカーブを抜けると当時は鉱員住宅が並んでいた









左手にその空間
今は公園・キャンプ場として利用されている様子
奥に鉛川温泉の「小牧荘」が見えている
さらに奥には残る一軒の「おぼこ荘」 この温泉はかなり気になったが
私は横目に通り過ぎるだけである









温泉の建物を過ぎるとこの様な未舗装の道へと変わる
この先に八雲鉱山があったようだ

古くは遊楽部鉱山と呼ばれ
延宝2年(1674)には既に銀・鉛・金などを採掘していたと言われる
この八雲鉱山は市街地から24.5キロも離れた山間部にあり
鉱山としても生産高に限界があったため
大きく発展することもなく受け継がれてきた

しかし昭和6年に八雲鉱業株式会社が経営するようになり
経営規模もしだいに拡張されて稼働者が続々と入山するようになる
会社ではこれらの子弟のため
経費負担半額を会社で寄付することを条件に町と折衝し
児童数20名をもって
「八雲尋常高等小学校付属八雲鉱山特別教授場」として開校したのである
八雲町史より抜粋









進んで行くと左手へ分岐する道
何とも凄い橋 というか橋なのか
雪解けの水がその上を溢れ流れている

私はこちらに跡地があると思い恐る恐る歩いて
いや走って渡ってみた

しかし熊の恐怖の事もあるので
一旦車に戻り無謀にも車で渡って奥へ進むのであった

残念ながら間違えたようで
この先には何も確認出来ない

危険を冒した価値なく戻ったのである









真っ直ぐ先へと続いている道を今度は進んでみる
こちらも頼りない橋ではあるが
欄干があるのでまだマシである









地形図をもう一度確認すると学校跡地はこのすぐ先の右手のよう
わくわくしてきた









するとご覧の石碑がお出迎え
もの凄い感動と 辺りを隈無く探さなくても良い感謝の気持ちが溢れる









「八雲町立鉱山小中学校跡地」としっかりと刻まれていた
途中間違ったが諦めずに進んで良かったと思う次第









裏手には簡単な校史が
そして建立は平成11年10月とある
閉校から30年経っての事 うれしいことである









正面に一線の大きな校舎があったようだが
その痕跡は見つけられなかった

旧版地形図によるとこの学校跡地の先に
温泉の記号や郵便局の記号もある
少し進んではみたものの
山中の風景が確認出来るだけだった

昭和11年には中外鉱業株式会社の経営となり
日中事変による軍需の増大にともなって
マンガン増産が要請され事業規模を拡張
そのため児童数も急激に増加し
会社では新たに校舎を建築して無償で町に貸与
昭和15年に八雲鉱山尋常高等小学校として認可された

昭和22年に八雲鉱山小学校と改められ
八雲中学校八雲鉱山分校が併設される
翌年23年4月には八雲鉱山中学校として独立併置
校舎も増築されへき地集会室も増設された

昭和36年頃には小学校150名を超え
中学校も50名となる

しかしマンガンの埋蔵量に限界との見通しとなり
昭和37年には大規模な縮小配転が行われ児童・生徒数は激減し
同40年には再び八雲鉱業株式会社に経営を移し継続を図ったが
同44年4月限りで採鉱中止のやむなきに至

転出者の続出により児童・生徒はゼロとなったので
同年7月31日限りをもって
特別教授場として開校以来35年の校史に幕を下ろしたのである





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