夕張市立鹿島小学校奥鹿島分校

昭和32年4月1日開校   昭和55年6月30日閉校


平成20年5月訪問



明石町跡辺りから夕張川を渡り白金地区へと続く白銀橋
立派な橋が残されている









橋を渡った風景 こんな風景を通過していく









開けたかつての集落には
建物の基礎がわずかに確認できるぐらいで
他には建物があった空間が その沿道に残されているだけである

小学校跡地の碑だけをたよりに探したため
約30分もの間行ったり来たりと調べまわる
結局それらしき碑が見当たらない
後でわかった事で学校跡地の小さな空間も確認していたようだが
その時は断定出来ず結局分からず仕舞い

少し高い位置に見えている工事中の付け替え道路への進入路で
車を折り返そうと諦めた時
木々の間から奥に何やら石碑?らしきものが









上に見えていた付け替えとなる造成中の道路に入ってみると
その道路沿いに建つ石碑が









ここに移設されていたのだ
いくら跡地付近を探しても見当たらないはずである

「白金望郷の碑」と









「奥鹿島分校ゆかりの碑」
まさしく分校の跡地の碑ではあるが
本当の跡地はこの丘の下にある









裏側を見ると平成16年にはここへ移設されていたようだ
ダムに沈む前にもう一度
この鹿島地区(大夕張)へ来ることがあるだろうか
通り過ぎてしまった本当の跡地を確認するために









平成22年10月再び白金へとやって来た
いつまでこの白銀橋を渡ることが出来るのかと
徒歩で渡ってみる









途中付け替えの国道を眺めて見た
次にこの辺りに来ることがあったら
もうここからの風景を眺める事は 出来ないのかもしれない









感傷に浸りつつ車に戻り
かつての白金の農地を抜けて行く









そうしているうちに やっと念願の奥鹿島分校と思われる跡地へ
入念な下調べをしていたので今回はここで間違いないはずだ
小さな木造校舎は写真木々の裏手に建っていた









平成の時代まで残されていた その校舎のあった辺りを覗くと
残念な事に何も残されてはいない









しかしよく見ると そこには建物の基礎のようなものが









春先ならしっかり確認出来ると思われる基礎が
側溝らしきものも確認出来る
位置からいっても間違いなく分校の校舎基礎だろう









基礎と道路の間にこのブロックで囲んだ構造物 花壇の跡のようだ
閉校からの長い月日に 木が大きく育っている









校庭を確認
そこにはまだ開けた敷地が残されている
閉校後も何かに使用されていたのか
それとも付け替えとなる正面の夕張岳登山へと続く道の
工事関係の何かで利用されていたのだろうか









正面の造成中の道路が完成すれば
この跡地も近くから眺める事はできそうだ

その道の何処かに
上で紹介した記念碑が移設されているのだが
この訪問時はそれがどの辺りだったのか判らなかった









平成24年5月
完成した国道452号線の展望パーキングから
白銀橋とその向こうの白金地区を遠望
とうとう白銀橋を渡り
かつての白金地区へ向かう事は出来なくなってしまったのだ


奥鹿島分校 校歌
まばゆく朝日をあびている 夕張岳の山裾で元気に育つ
ぼく わたし
明かるく 強く 清らかに 希望の若芽を萠やそうよ
苦しいなんて いわないで
笑顔をうかべ 暮らそうよ

開校時は「鹿島東小学校奥鹿島分校」
昭和32年開校時児童数11人
昭和36年最大児童数の14人
昭和53年4月 鹿島東小学校の閉校により 鹿島小学校の分校となる
昭和54年児童数2人

昭和55年鹿島小学校に統合される





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