湧別町立東芭露小学校
大正2年5月1日開校 昭和51年3月31日閉校
平成19年11月訪問
明治42年に開拓者の入地をみたバロー原野東の沢
入植間もない頃から地区住民は教授場設置運動を起こし
開拓浅く経済的に辛酸をなめる生活の中から
血肉を裂く思いの寄付金を募り
大正2年4月30日に校舎・教員住宅の落成を見た
と湧別町史にはある
ここは湧別町芭露から内陸に入り
上芭露を越えた東芭露の地区
周りには数軒の建物しか確認出来ず
この辺りで道路も未舗装となっていた
跡地には昭和44年建築の木造モルタル造の校舎が残されている
その入り口には二宮像と
平成4年10月 湧別町開基110周年記念で建立された跡地の碑
裏側に刻まれる閉校日が昭和52年3月となっているが
昭和58年発行の湧別町史では昭和51年となっている
「東芭露トラクター利用組合倉庫」
残念ながらこちら側の壁面は柱が取られ改修されているが
古く大きな木造の味のある体育館ではないか
改築された校舎からは離れた位置に残され
体育館として利用されていたのだろう
その体育館は開校40周年の昭和27年に建築されたようだ
湧別町史には大変背の高い立派なレンガ造の門柱が写っており
現在も残されているとあったが
その湧別町史も発行から20数年が経ち
現在は跡形も無くなっていた