湧別町立緑蔭小学校

大正5年10月18日開校   昭和35年3月31日閉校


平成21年5月訪問



湧別町立信部内小学校跡地から南
町道を4キロほどだろうか
今は何もない山間部の風景の中を暫し進んでいく









そうしているとこの林
信じられないがそこに約50年ほど前まで緑蔭小学校があったのである









今は湧別町が建てた小学校跡地の碑と
朽ち果て小さくなってしまった校門がそれを物語る









小学校の建物は写真正面辺りに建っていたようだ









こんな状態で残った校門は始めてである









片側も天辺部分だけとなりその下部分は
周りに崩れ果てている









校舎のあった辺りを調べてみた
そこは蕗が生い茂るだけだった

この学校は多難な曲折をたどっていると町史にはある

大正5年10月 湧別尋常小学校緑蔭特別教授場設置
大正6年3月 村財政事情により休校
大正6年7月 川西尋常小学校所属特別教授場として再開設
大正7年3月 村財政事情により廃校

奥地のため通学する児童の負担が重なり
過半数は欠席の状況に その後

大正8年11月 川西尋常小学校付属緑蔭特別教授場として再興
昭和17年4月 独立し緑蔭国民学校となり
昭和22年4月 新学制により緑蔭小学校となった

しかし立地条件の劣悪な中ノ沢・東ノ沢一帯からの離農者が相次ぎ
児童数も10名を割り
昭和35年3月閉校となり
信部内小学校へ統合された





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