羽幌町立旭ヶ丘小学校

昭和26年2月1日開校   昭和46年5月31日閉校


平成19年5月訪問



羽幌炭鉱の本鉱があった三毛別地区
現在住む人もいなくなったこの地に
かつての炭鉱のシンボル「立坑巻上塔」と
石炭積込施設の「ホッパー跡」が静かに眠る
閉山後に新しく敷かれた道路の真新しさが不自然だ









上の写真奥にある廃道となった旧道の
この左手丘の上  奥に旭ヶ丘小学校は建っていた









ここから上って確かめたい気持ちではあったが
ここは熊出没地帯
単独での行動は危険と判断して
違う場所へと移動した









学校跡地へ回り込もうと未舗装の道路へ進入する
その辺りには何棟かの炭住が残り
かつての「健保会館跡」の石ブロック造りの門が残っている









その健保会館前から学校跡地を望む
正面山裾あたりにあったのだろうが
ご覧の通り森になっていて
やはり熊の恐怖からこれ以上の探索は断念した









未成に終わった国鉄名羽線跡の路盤が正面彼方に続いている
現在は撤去され残ってはいないが
そぐそこには当時跨道橋が架かっていた
上から2枚目の写真に写る旧道がその下を走っている

旭ヶ丘小学校は写真右手林の奥辺りに
昭和39年火災で焼失した旭ヶ丘中学校と共に
建っていたようである
その後中学校は曙中学校と合併し移転して
北辰中学校としてあらたなスタートを切る

小学校は閉校前年の昭和45年に13学級463名の規模だったが
その年11月の閉山により
閉校時には47名の児童数にまで激減してしまう
そしてわずか20年の歴史に 幕を下ろしたのである





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