夕張市白金開拓

平成22年10月他訪問



昭和37年の建設で完成した大夕張ダム
現在さらにそれを嵩上げするために建設中の夕張シューパロダム

シューパロ湖沿いの国道を 旧大夕張の集落から南部へ向けて走る
建設中の新しい国道が上に見えている
撮影は平成20年5月

ちなみに平成23年12月 付け替えとなった国道の完成により
現在この旧国道への進入は不可である










かつての明石町地区から東 夕張川を渡ると白金という地区がある
その入り口に立つ案内板 「夕張岳登山道入口」










元々何かの看板だった物の上に付けられているものは カメラを表しているのだろう
「写真はとっても 植物とらないで」
面白い










その白金の地区には 昭和31年3月大夕張ダム建設時に
ここから対岸辺りに存在していた桜ヶ丘小学校が ダム湖に水没するため閉校となり
その校舎を移築して昭和32年4月1日開校した
「夕張市立鹿島東小学校奥鹿島分校」があった

まずはこの白銀橋を渡る










白銀橋の上から付け替えとなる新しい国道を眺めてみた
この光景を拝むことはもう無理なのかもしれない










橋を渡った先の風景 小さな林を抜けて行く 昭和51年の空中写真で確認すると
ここから先に農家の建物やビニールハウス等が点在してあったようだ










建物があったであろう基礎等を確認しながら進んで行く
ダム建設の理由からだと思われるが一軒の建物も残されていない
それともそれ以前から離農等により何も無かったのだろうか










この様な風景を暫し進む










そうしていると目指す分校の跡地が正面左手










木々のすぐ裏手に 奥鹿島分校の小さな木造校舎があったようだ










覗いてみた
残念ながら閉校後 平成の時代まで残っていた木造校舎は 綺麗に解体されている










しかしご覧のもの 校舎の基礎が確認出来るではないか
いつ頃取り壊されたのか判らないが 育つ幼木の感じからすると
10年ほどしか経たないのかもしれない










ブロックで作られた側溝も確認できる










校舎の前 これは花壇の跡だろうか
こちらは昭和55年の閉校から放置されていたかのように大きく木が育つ










校舎の前から進入してきた方角を振り返って
正面に新しい林道?が造成されているのが分かる










学校の入り口

実はこの何処かに分校跡を示す記念碑が置かれているのを知り
初めての調査時はそれをみつければ学校跡地を探し出せると安心してこの辺りまで来た

しかしそれらしき物を見つけることが出来ず 辺りを行ったり来たり
結局確定出来ないままにここを後にする

写真は校庭だった風景 この正面 一段上に新しい林道?が続いている










付け替えの林道と思われる進入口を数カ所で見ながら戻る途中
木々の間から上の方に何か石碑らしきものが見え隠れしているのに気がついた

そこへと進入し近づくと おそらく完成後は小さなパーキングにでもなろう位置に










ここに移設されていたのだ
「白金望郷之碑」と「奥鹿島分校ゆかりの碑」である










白金望郷の碑の裏側
下に刻まれた部分を写していない と残念に思ったが
考えてみるとこの道路は完成し 現在は普通に行ける場所となっているかもしれない










「奥鹿島分校ゆかりの碑」
眺めているとなんとも言えない気分となっていた
離農で廃校となり ダム建設でその地からも離された碑










閉校から2年後の昭和57年に建立されたもの
おそらく平成16年9月の再建というのが この地に移設された日なのだろう

開校時は鹿島東小学校の分校であったが
昭和53年3月に鹿島東小学校閉校により 鹿島小学校の分校となる
その2年後 年度途中の6月30日を以って廃校となったのには
離農離散で集落が消え 年度途中で児童皆無となったためだろうか





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